ラグビー大学選手権2020
新年おめでとうございます。
勝つのは、早稲田と明治
文句ある?
精神力戦!肉の塊が精神力でぶつかり合う早明戦ラグビー!今年はすごい!
いよいよ、ラグビー早明戦です。早明戦は12月の第一週の日曜日、今年は12月1日です。プラチナチケットはゲットできましたか?野球の早慶戦が終わってすぐにやることは、ラグビー早明戦のチケットを買う事です。うちは二班に分かれて別々の販売店に特攻します。
今年の早明戦は、稀に見る好カード。全勝同士、しかも前評判が明治優勢!
これほど条件がそろう事はほとんどありません。その上、・・・。
ラグビーは下馬評でほぼ勝敗がわかるのですが、今年の早明戦は全く予想できません。あの肉体の塊が精神力でぶつかるんです。精神力でぶつかると、6x4で早稲田が勝ちます。今回は、明治有利の報道が多いのでこれほどおもしろい展開はありません。
精神力勝負!
みせてみなさい、早稲田
みせてみなさい、明治
すべてを発散させなさい!!!
東京六大学野球:ラグビー編
秋シーズンの東京六大学野球が終わると、次はラグビーシーズンです。今年はどこが強いかなあとか、個人技スペシャリストいるかなあとかそわそわしてきます。で、今年の大学ラグビーの状況をを調べるのですが、応援するのは当然、六大学。なかでも、慶應・明治・早稲田の選手を念入りにチェックします。わたしは11月24日の慶早戦(早慶戦)から大学ラグビーを見始めます。
ラグビーの日程は、主要な試合は日時が固定されています。
慶應 VS 早稲田 | 11月24日:勤労感謝の日 |
明治 VS 早稲田 | 12月の第1日曜日 |
大学選手権準決勝 | 1月2日 |
わたしが押さえておくのはこの3試合。この三本がわたしのメインイベントです。前売りチケットは約1か月前に発売されるので、ちゃんとチェックしましょう。真ん前のど真ん中のスペシャルチケットをゲットするのが理想ですが、早明戦や大学選手権準決勝の場合、明治が強い年は、末端の席でさえ入手が非常に困難になります。強い時の明治の応援の意気込みは半端ないので、良い席のチケットをゲットするには、チケット発売日の前日から気合を入れる必要があります。早慶戦の場合はやさしくて、当日に秩父宮ラグビー場に1時間前から並べば、だいたい良い席をゲットできます。大学選手権準決勝のチケットはトーナメント戦を勝ち進むことを前提にチケットを買うので、お目当て大学がその前に負けてしまうとチケットが無駄になる場合もあります。
大学ラグビーは
「明治が強いとおもしろい」
この一言に尽きます。そして、
「その強い明治をどうやって早稲田が打ち負かすか」
大学ラグビーはこれに尽きるのです!(と、おじいちゃんが毎度言ってました。)
関東の大学ラグビーは、2グループに分かれています。六大学では5校が対抗戦グループ、法政だけがリーグ戦グループに所属しています。
1.対抗戦(16校)
Aグループ 慶應、明治、早稲田
Bグループ 立教、東大
毎年Aグループ下位2校とBグループ上位2校で入替戦が行われます。慶明早はいつもAグループ。立教はだいたいAグループとBグループの境目、東大はBグループです。
2.リーグ戦(40校ぐらい)
1部 法政
2部
3部
4部
5部A、5部B
大学選手権の3回戦(準々々決勝 )から、対抗戦とリーグ戦のカードが始まります。3回戦と準々決勝は半分が関東で半分が関西で行われます。準決勝からは秩父宮と国立競技場で行われます。
ラグビーは野球やサッカーなどと違って、前評判通りにほぼ勝ち負けが決まります。なので、プロ・社会人リーグなど、社会人の試合は、試合をみなくても結果がだいたい予想できて、ほとんどが予想通りの結果になります。
ですが大学の場合はちょっと違って、体力や技術力以上に潜在能力、大学生の若者だけが威力を発揮する「精神力」よって、大事な試合ほど予想がむずかしくなります。前評判で同じ実力同士で10戦戦ったと考えてみましょう、早慶戦なら早稲田7勝で慶應が3勝、早明戦なら早稲田が6勝明治が4勝。結果はこんなもんでしょう。これが精神力の違いおよび土壇場の作戦の差です。切羽詰まってくるほど早稲田は強くなる印象がわたしにはあります。
慶應は早稲田よりかなり強くないと早稲田には勝てないかな? |
明治は早稲田より強くないと早稲田と互角には戦えないかな? |
つまり、慶應がむちゃくちゃ強くて、明治かなり強くて、早稲田がそれなりに強い年が、一番おもしろいんです。一番盛り上がるんです。肉体と精神力のぶつかり合いが大学ラグビーの醍醐味です。
という感じで
私は大学ラグビーを楽しんでいます。
気合いだー!
まったり般若心経物語り最終第9話:あ~ぁ、勘違いしちゃう人もいるんだよね
般若心経は、誰が誰に話している内容なのか?
般若心経は、誰が誰に対して言った話なのかは明確ではありません。聞き手の一人にお釈迦様の弟子の舎利子がいますが他はわかりません。
観音様のことは観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)に詳しく書かれていますが、この観音経はお釈迦様が弟子たちに観音様のすごさを語る内容になっています。般若心経もお釈迦様が弟子たちに観音様について話したときの内容だと仮定して読むとしっくりきます。
↑ このようなグータラ出来損ないはほっといて、般若心経を始めます。あと少しなので張り切っていきたいと思います。
前話では、仏様になるためには、般若波羅蜜多(はんにゃはらみつた)の悟りを得なければならないことがわかりました。そして、その仏様でさえ、究極の目標として、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)というのがある事もわかりました。
般若心経を続けます。ここからは、般若心経の呪文がどんなにすばらしいかを説明しています。まー、当たり障りのない、別に大したことは言ってませんけどね。とわたしは思うのですが、すごいことを言ってるらしいんです。ぽか~ん
40.故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみった)
故に知っておきましょう、般若波羅蜜多は
41.是大神呪(ぜだいじんしゅ)
これは大きな悟りの呪文であり
42.是大明呪(ぜだいみょうしゅ)
これは世の中を明らかにする呪文であり
43.是無上呪(ぜむじょうしゅ)
これはこの上ない呪文であり
44.是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)
これは同じものが他にない呪文なのです。
45.能除一切苦(のうじょいっさいく)
よく一切の苦しみを取り除き
46.真実不虚(しんじつふこ)
真実であって、虚ではないのです。
般若心経の呪文のすんばらしさ
いよいよ般若心経の最後の部分です。第2話でもやりましたが、繰り返し見て行きましょう。般若波羅蜜多の呪文です。
この呪文を唱えて少しでも仏様に近づき、良い人生を送ることができますように。そして、般若波羅蜜多の呪文を唱えたことによって、良い人生を送って仏様になったんだよね、おかあさん。さよなら、おかあさん。わたしはもうへこたれません。
47.故説般若波羅蜜多呪(こせつはんにゃはらみったしゅ)
それでは、般若波羅蜜多の呪文を説きましょう。
48.即説呪曰(そくせつしゅわっ)
すなわち、呪文を説いていわく、
49.羯諦 羯諦(ぎゃてい ぎゃてい)
「行こう 行こう
50.波羅 羯諦(はら ぎゃてい)
向こうに 行こう
51.波羅僧 羯諦(はらそう ぎゃてい)
向こうに 行こう
52.菩提 薩婆訶(ぼじ そわか)
すんばらしい呪文
53.般若心経(はんにゃしんぎょう)
般若心経」
あとがき
母が亡くなり、一つの区切りとして母に何か恩返しをしようと、いろいろ考えているときに、母が毎日、本を読んでくれていたことを思い出しました。母はわたしが物心が付いた頃から、毎晩、わたしが寝る前に絵本や本を読んでくれました。それは小学一年生の入学式の前日まで一日も欠かすことなく続きました。
恩返しの内容が決まりました。毎朝、仏壇の前で母にお経を読んであげようと。第1話の法事の話は母の49日法要での出来事です。その次の日から、わたしは母への恩返しを一年間休まず続けました。
恩返しを始めたのが真冬でかなり寒かったのですがストーブも付けずに、よっぽど気持ちが張り詰めていたんでしょうね。今はできません。ほんと無我夢中の一年でした。そのおかげで、お経を一通り覚えることができたのですけどね。母に恩返しをしたつもりが逆に母からプレゼントをもらったような気持ちです。母はわたしが恩返しをすることをわかっていて、恩返しのプレゼントをちゃんと用意してくれていたんですね。あー、母に頭がぜんぜん上がらない。今のグータラのままでは死んでは母に合わす顔がない。
実はこの母への恩返しのことは誰にも話していなくて、わたしが数々のお経を暗唱できることは誰も知りません。家族も知りません。家族がいるときは、わざとお経本を見ながら唱えます。わたしと母とだけの秘密事項なのです。ここに書いちゃいましたけどねw
第1話での話ですが、お坊主さんが「お経は朝」と言っていた理由もわかりました。へー、すごいって感じですよ。高校生の時に教えてくれてたら、受験勉強が楽だったのになと思いました。あ、またグータラに流れた、はは。
というところで、わたしの独りよがりの「まったり般若心経物語り」もこれで終わりです。解釈が間違っているところや意味不明なところもたくさんあるとは思います。でもこれが今のわたしの実力です。今後、見直したときに、こんなはずかしいことを書いていたんだ~と思えるよう、これからもわたし自身をもっとみがいて成長したいと思います。また機会があったら、お経ものを書くかもしれません。最後にわたしの目標としている格言をひとつ
残された者が正しく生きることこそ
亡き者に対する真の供養である。・・・ブッダ
みなさん、最後までありがとうございました。
「まったり般若心経物語り」
これにておしまい
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「まったり般若心経物語り」ではたくさんの方のイラストを使わさせていただきました。
ニッキーさんによるイラストACからのイラスト
yogiririさんによるイラストACからのイラスト
コーンスターチによるイラストACからのイラスト
amamrosaさんによるイラストACからのイラスト
AZUMIさんによるイラストACからのイラスト
カタテマデザイン室によるイラストACからのイラスト
マルムギさんによるイラストACからのイラスト
CranberryさんによるイラストACからのイラスト
藤ヤスフミによるイラストACからのイラスト
wksさんによるイラストACからのイラスト
麦さんによるイラストACからのイラスト
acworksさんによるイラストACからのイラスト
カシオスによるイラストACからのイラスト
keisuke3さん
ありがとうございました。
まったり般若心経物語り第8話:五蘊皆空だと悟った観音様は、どこへ行ったのか?
ここからは、簡単なはずです、たぶん、おそらく…
前半ごくろうさまでした。疲れたおかげで、五蘊皆空とは、つまり色即是空・受即是空・想即是空・行即是空・識即是空なのだということがわかり、そして第7話で定義した空の性質から、不生不滅・不垢不浄・不増不減も呑み込めたと思います。それに続く部分も空の性質から理解できたと思います。
ちょっと頭を整理すれば、前半は「色即是空」の意味を調べてただけだったんだなあということにも気付くと思います。
前半は難しくて、頭の中が常に空っぽ沸騰状態でたいへんでしたが、ここら辺からは一気に簡単になります。見慣れない単語・熟語も結構ありますが、意味を簡単に付けることができるものばかりなので、先へ読み進む分には不自由はありません。もっと詳しく知りたい人は、いろいろ調べてみましょう。般若心経は、お経のメインストリートが故に、様々な人が様々に解釈をしているので、ためになるお話が多いと思います。
観音様:五蘊皆空→般若波羅蜜多
では般若心経の続きを始めたいと思います。般若波羅蜜多の修業をしていた観音様は、五蘊皆空を悟りました。そして、次は100億年以上の歳月をかけて、般若波羅蜜多を悟り仏様となっていくのでしょう。我々人間が亡くなると仏様になって、安らぎの地であるあの世、涅槃(ねはん)に行く、というたとえのお話はこの部分ですね
29.以無所得故(いむしょとくこ)
以上のように(空では)得るところがないが故に
30.菩提薩埵(ぼだいさつた)
菩薩さん(五蘊皆空を悟った観音様)は
31.依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)
般若波羅蜜多によるが故に
(般若波羅蜜多を悟れば、)
32.心無罣礙(しんむけいげ)
こころを覆うものがなく
罣礙:覆うもの
33.無罣礙故(むけいげこ)
覆うものがない故に
34.無有恐怖(むうくふ)
恐怖もなく
35.遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
あらゆる妄想から離れて
遠離:遠く離れる
顛倒:ひっくり返す
36.究竟涅槃(くうぎょうねはん)
素敵な場所へ行くのです。
究竟:行きつく
涅槃:やすらぎの地
仏様:般若波羅蜜多→得阿耨多羅三藐三菩提
菩薩さんである観音様の話から、ここでは仏様の話です。三世諸仏なので過去現在未来に誕生した・誕生するすべての仏様ということですね。すべての仏様は般若波羅蜜多を知っていて、究極である阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の悟りを得ることが仏様のゴールになります。という感じですかね
37.三世諸仏(さんぜしょぶつ)
さまざまな仏様も
三世:過去・現在・未来
38.依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)
般若波羅蜜多によるが故に
39.得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
(般若波羅蜜多を悟ってるから、その上の)最高の悟りを得た
阿耨多羅三藐三菩提:仏様が悟ること。究極の悟り
今日はおしまい
東京六大学野球:昔の大学風景を校歌・応援歌・学生歌から想像する
六大学の立地場所を校歌・応援歌・学生歌からひも解く
今や都心の大学は、どこも周りがビルや家々で覆われ、真っ先に緑を切り開いて創立した大学の敷地内がいちばん緑が多いという皮肉な時代になっています。
さて、今日はその大学がたっている所は、昔はどんな風景だったのでしょうか?校歌・応援歌・学生歌の歌詞から、昔がどんなだったかを推測してみたいと思います。時代的には、古くは明治。だいたいは大正から昭和にかけてでしょうか。今から約100年前の東京の姿を歌詞から想像しましょう。
立教大学(西池袋)
富士山がみえて紫が匂う武蔵野の原っぱにある
[参考]
・校歌「芙蓉の高嶺を 雲井に望み紫匂える 武蔵野原」、
・行け立教健児「武蔵野原」、
・栄光立教「武蔵野原」、
・輝く栄光「武蔵野原」
法政大学(市ヶ谷)
桜の咲く丘の向こうに富士山がみえて、校門の脇が江戸城の外堀で、外堀には蛍が集まり、松の緑があって、家並みの灯がみえる
[参考]
・校歌「見はるかす窓(の)富士が峯の雪 蛍集めむ門の外濠」
・歩みくれば御社「桜花吹雪よ鐘響くは学舎、高き窓に見やれば町並みの燈よ」、
・オレンジの園に「風も薫るよ外濠超えて、丘をはるかに富士ヶ嶺映えて」、
・熱き心「富士ヶ嶺仰ぐ学び舎に、ああ外濠の松緑風に舞い散る桜花」、
・名大いなれ法政「お濠に影うつして、丘の桜眺めて、千代田の城巡ぐりて、緑の松仰ぎて、真白の富士仰ぎて」
慶應義塾大学(三田)
江戸城の南の三田にあり、銀杏があって海が見える丘の上で草花が匂う
[参考]
・塾歌「丘の上」
・丘の上「ぎんなんに鳥は歌うよ、窓を開けば海が見えるよ」
・慶應讃歌「三田の山」
・天は晴れたり「城南健児、三田山」
・慶應ワルツ「三田の台、あの丘は若葉薫るそよ風、この丘のみどり匂う花もて」
・おおわが慶應「三田の山」
・躍る太陽「歓喜の潮寄せ、草萠ゆる学の丘」
・早慶讃歌「城南の丘に風清き」
大内山(皇居)の濃い緑と、富士山が見える駿河台にある
[参考]
・校歌「白雲なびく駿河台、霊峰不二を仰ぎつつ」
・都に匂ふ花の雲「旭日映ゆる駿河台、大内山の濃緑に輝く富士の峰」
東京大学(本郷)
銀杏の道があって、丘の上の杜(にある)
[参考]
・ただ一つ「ここなる丘に、ここなる杜に」
・たたかいの野に「勝利の丘に」
・大空と「銀杏のこの道」
・燃ゆる獅子「東大の杜にのぼる」
江戸城の西北の早稲田の森にある
[参考]
・校歌「都の西北 早稲田の森に、 常磐の森は」
・早慶讃歌「城北の森はみどり濃く」
・精悍若き「都の西」
・大地を踏みて「城北の森」
・燃ゆる太陽「都の西北」
まったり般若心経物語り第7話:「おいしい」というタイミングについて
「空」のせいで「空腹」の意味がゴチャゴチャになってきた
「空」はぎっしり詰まっている状態なので、「空腹」はどんな状態なんだろう?と昼食後の満腹時に考えていたら、うっかり昼寝をしてしまいました。
さて、お食事のとき、みなさんはいつ「おいしい」と言いますか?私はだいたいおいしいものを口に入れて飲み込んだ後に「おいしい」と言うそのマンマ派ですが、食べる前に見た目や匂いで「おいしそう」と言う予言派や、黙々と全部食べ終わった後に「おいしかった」と言う満腹派もいますよね。こういう話を友達としていたら、新たなる情報を得ました。
「食べ物を口に入れる前に、おいしいという人もいるよ」というフライング派もいるとのことです。ちょっと想像をしてみました。自分の手料理を食べる前においしいと言われたらどう思うだろうかと。わたし的には手抜きのまずい料理の場合はそのほうが気分いいし、気合を入れて作ったおいしい料理だとちゃんと食べてからおいしいと言ってもらわないと機嫌を損ねるかもと思います、ということで、フライング派の良し悪しは、ケースバイケースですかね・・・。なんかどこか間違ってるなあ、この発想。修行が足りない。さ、修行に入りましょう。
六根・六境・六識、難しそうですが簡単です
ここでは、六根・六境という言葉がお目見えしますが、あまり深く考えずに、五感+第六感(ひらめき、インスピレーション)と考えておけば良さそうです。五感はもちろん、眼・耳・鼻・舌・身(触った感じ)です。第六感は、心で感じる感覚で「意識」と言っています。「意識」は世の中の法則である「法」を心で感じ取ります。また、六根に「界」をくっ付ける眼界・耳界・鼻界・舌界・身界・意識界という言葉もありますが、例で説明します。画像も参考にして下さい。
例
眼で色を見て、あなたが頭の中で感じたことを眼界といいます。
耳で声を聞いて、あなたが頭の中で思ったことを耳界といいます。
舌で味を見て、あなたが頭の中で思ったことを舌界と言います。
六根 | 六境 | 六識 | |
---|---|---|---|
五感 | 眼:視覚 | 色:見た目 | 眼界 |
耳:聴覚 | 声:音 | 耳界 | |
鼻:臭覚 | 香:匂い | 鼻界 | |
舌:味覚 | 味:味わい | 舌界 | |
身:触覚 | 触:触感 | 身界 | |
第六感 | 意:意識 | 法:思考 | 意識界 |
「空」は見えない巨大金塊かも?頭の中でだけは大金持ち
般若心経の続きを始めますが、ここで重要になってくるのが、またしても「空」なので、もう一度、「空」のおさらいをしましょう。
空 = すべてのものがぎっしりと詰まっている透明で透過な空間。
「空」は「透明」なので何も見えませんし、「空」は「透過」な状態なので人間のすべての感覚が「空」から何も感じ取ることはできませんが、すべてのものがぎっしり詰まっているので、いろんな条件によってさまざまなものがそこから出てきます。またその中へ入っていきます。
以下は、「空の中」がどうなっているかが書かれています。
17.是故空中(ぜこくうちゅう)
ゆえに空の中では、
18.無色無受想行識(むしきむじゅそうぎょうしき)
(空は透明で透過な状態なので、)
色も受想行識もありません。(五蘊)
19.無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい)
(空は透明で透過な状態なので、)
眼も耳鼻舌身意もありません。(六根)
20.無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)
(空は透明で透過な状態なので、)
色も声香味触法もありません。(六境)
21.無眼界(むげんかい)
(空は透明で透過な状態なので、)
眼界から
22.乃至無意識界(ないしむいしきかい)
意識界に至るまで(耳界も鼻界も舌界も身界も)ありません。(六識)
乃至:から ~ まで
23.無無明(むむみょう)
(空は透明で透過な状態なので、)
無明もなく
無明:無知なこと、仏教で12個ある苦しみのひとつ
24.亦無無明尽(やくむむみょうじん)
(無明はないのだから)無明をなくすということもありません。
25.乃至無老死(ないしむろうし)
(空は透明で透過な状態なので、)
老死もなく
老死:死ぬこと、仏教で12個ある苦しみのひとつ
「乃至」とあるので、老死に至るまで12個全部の苦しみ。
26.亦無老死尽(やくむろうしじん)
(老死はないのだから、)老死をなくすということもありません。
27.無苦集滅道(むくしゅうめつどう)
(空は透明で透過な状態なので、)
苦集滅道もありません。
苦集滅道:お釈迦様の説いた真理。四諦
28.無智亦無得(むちやくむとく)
(空は透明で透過な状態なので、)
知ることもないし得るものもありません。
29.以無所得故(いむしょとくこ)
以上のように(空では)得るところがないが故に、
今日はおしまい